医局行事・学会報告
話は出発日の羽田空港に戻ります(前編:学会報告(ACR2019)①はこちら)。佐田先生・林先生とお別れし、ひとりNY便に搭乗しました。旅の準備が不十分でしたので、隣の座席が空いていた快適な機内でNYでの移動手段などを必死に予習。降り立ったJFK空港は税関に長蛇の日本人列ができており疲れました。ACRが開かれるアトランタへの移動を考えホテルはラガーディア空港近辺にとっていたため、バスでラガーディア空港まで移動することにし、そこから初Ub〇rで何とかホテルへ。ラガーディア空港では作業着のお兄さんに‘Over, over!’と声かけられるも意味が分からず首を傾げてしまったのですが、彷徨っている私をみて親切にUb〇r乗り場を教えてくれていたことに後で気が付きました。ホテルに到着後昼食を探しに出てみたものの周辺はNYらしさのかけらもなく殺伐としており(写真)、ホッとしたのもつかの間再度不安に。フラフラ入ったコロンビア料理の店はカードが使えず手持ちの少ない現金を消費し不安に拍車がかかります。果たしてここはNYなのか、と一瞬疑念が生じてしまいましたが、遠くに背の高いビルが確認できます。
そもそも今回の旅の目的はNY近郊のLong IslandにあるFeinstein研究所でSLEの研究をしているDiamond教授にお会いすることでした。件のコロンビアのお店からホテルに戻り、路線や切符の買い方を予習し出発。1㎞くらい歩いてメトロに乗車、ロングアイランド鉄道に乗り継いで最寄り駅へ。同研究所で救急蘇生研究のため留学している脳外科のO熊先生らに迎えに来ていただき研究所へ到着。旧友に連れられ部署を問わず色々な人に挨拶をしてまわりました。ちょうどDiamond教授のラボで開かれていたPhD studentの卒業パーティに参加していた人も多く、オープンな雰囲気が伝わってきました。Diamond教授は最近発表された新たなSLE分類基準策定にも携わっておられますが、元々はB細胞研究やSLEの中枢神経病変に関連する自己抗体で有名なPhysician-Scientistとのことです。現在の私の研究に関するお話をさせて頂き、ラボを見学させて頂きました。また同研究所に留学中の日本人研究者からNY生活について伺い、その後ハンバーガーショップでO熊先生と旧交を温めました。帰りも鉄道を使用しましたが、全く危険な雰囲気はありませんでした。が、最寄駅からホテルまでは人気のない暗い路地で、空港周辺にホテルをとったことを後悔しながら早足で帰りました。
翌日は学会前日で待機日でしたので、マンハッタン島に上陸。メトロポリタン美術館を訪れました。エジプト美術から現代アート、どうやって運んだのかと思われる建造物まで膨大な収蔵品に圧倒され、あっという間に時間は過ぎていきました。ちょうどお昼過ぎにボストンからシーフードを満喫しているLINEが届いたため、負けじとロブスターを求めセントラルパークを歩いて南下することに。しかし歩けども歩けども公園が続き終わりが見えません。NYのような大都市にこのような広大な公園を維持していることにただただ驚かされます。当日の最高気温は2-3度で、スマホを持つ手の感覚を麻痺させながら何とかお店に辿り着きロブスターサンドにありつけましたが、そのお店は日本各地に支店があるとのことでした…。
午後遅い時間になっていましたが、せっかくなのでバスで街並みを眺めつつグラウンド・ゼロへ。新しい貿易センタービルの周辺にも、さらにビルが建設中のようでした。そこからハドソン川沿いに出て、日没ギリギリに自由の女神も眺めることもできました。美しい夕焼けをバックに、カメラを構える人が多くいました。
渡米3日目はいよいよACR初日。アトランタへ向かうためお昼前にホテルを出発。アトランタ到着後に、ボストン留学中の勝山隆行先生と合流する予定でしたが、当地で急遽ラボの飲み会が入ったと連絡が。さてこの後の展開はいかに。
後編はその勝山T先生から、留学中のエピソードもまじえ(?)御報告いただきます。
(文責:渡辺晴樹)